書評 奈良本辰也・高野澄『京都の謎』(祥伝社黄金文庫)

黒澤明が国際的な映画監督としての歩みをはじめるきっかけとなったのは、監督11作目の『羅生門』(1950年公開)でした。

平安時代の京都を舞台に、人間のエゴイズムの相克を描き出したこの作品が、ヴェネツィア国際映画祭や米国のアカデミー賞などで高い評価を受けたことで、黒澤映画のみならず日本映画が国際社会へ広く紹介されることになりました。

それぞれの異なる見解によって物事の真相が覆い隠されてしまうことを、英語で「ラショウモン・エフェクト」(Rashomon effect)と呼ぶことがあります。殺人事件をめぐり当事者や目撃者の食い違う言い分によって謎が謎を呼ぶ『羅生門』。名作映画の与えた影響の大きさが改めて感じられます。

さて、羅生門は正確には羅城門といい、西暦8世紀末から19世紀半ばまで1100年近くにわたって日本の首都であった平安京の正門に当たります。10世紀後半に倒壊してからは再建されることはなく、現在は公園のなかに立つ石碑でしか往時を偲ぶことはできません。

古代中国の影響を受けて碁盤の目状に街路を配した左右対称の都市である平安京ですが、中国的な「羅城」つまり高く堅固な城壁ではなく、簡単な土塁や溝が周囲に築かれていただけだったようです。羅城門も外国の使節を迎える際の玄関として用いられる儀礼的・装飾的な存在と考えられます。

いずれにしても、中国風の宮城都市として築かれながら当初から城壁と呼べるものがなく、にもかかわらず1000年以上のあいだ都として存在してきたこと自体、歴史の大きな謎といえます。

謎といえば、羅城門址のすぐ隣に今でもその威容を誇り、世界遺産に登録されている東寺にまつわるものもあります。平安京鎮護の寺として建立された東寺ですが、先に述べましたように京の都は左右対称の形ですので、東寺があれば対となる西寺もあるはずです。しかし西寺は早くに没落し、いまは東寺が残るのみとなっています。

おそらく代々京都に住む人であっても、かつて西寺があったことを知る人は少ないのではないでしょうか。もし仮に、京都人にこの疑問をぶつけてみれば、各人各様の見解を述べて、それはまさに「ラショウモン・エフェクト」の様相を呈するのではないかと思います。

なぜ西寺はなくなり、東寺のみ残ったのか。実はこれも京都の大きな謎なのです。

ユニークで長い歴史を育んできた京都は、こうした歴史の謎や不思議には事欠かない。この点に注目して書かれたのが、『京都の謎』です。

著者は、日本史研究者の奈良本辰也と高野澄。二人は京都の歴史を数多の謎から解き明かすスタイルを確立し、それを思う存分に披露したのが本書です。東寺と西寺の謎はもちろん、そもそも京都の地がなぜ都に選ばれたのかという謎から始まり、京の夏の風物詩である五山送り火(毎年8月の半ば、京都市街を取り巻く5つの山々にかがり火でモチーフを描く伝統行事)にまつわる謎、あるいはなぜ千年の王都が捨てられることになったかという謎まで、全18の謎の数々を解き明かしています。

初版は1986年ですが、版を重ね、さらにはシリーズ化されて読み継がれてきました。端正かつ読みやすい文章で小気味よく京都の歴史の神髄に迫っていく内容は、いつ読んでも古臭さを感じさせません。京都を学ぶための最良の入門書といえるのが『京都の謎』シリーズなのです。

京都は昨年、米国の大手旅行雑誌で魅力的な都市ランキングで1位となるなど、長年人気の観光地として注目を集める土地です。パンデミックが終息すれば、また多くの人々が内外から訪れることになるでしょう。

土地の風物を味わうとともに、その歴史の内側にも触れることができれば、旅行の醍醐味は否が応でも増します。それが現地民でも知らない歴史の謎であれば、なおさらです。

この本はそんな至極の京都旅行のための必携書といえるかもしれません。

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