新聞でも雑誌でも欠かさず目を通したくなるのが、人生相談のコーナーだったりする。
長年連載されているものであればあるほど、時をさかのぼって今昔を読み比べると、それぞれの時代相がはっきりと浮き上がってきて面白い。人間のどうしようもなく変わらない面と多少は変わっていく面とが織りなす戯画である。
人生相談の相談内容で最も多いのは、やはり人間関係に関するものだと思う。社会のなかで生きるほかない人間としては、どんな時代にあっても受け継がれる悩みの源泉だというのは、わかりきった話ではある。
むかし読んで印象に残ったものにも人間関係、とくに親子もの(?)がいくつかある。そのなかでも、ある母親が言うことを聞かない娘について相談するものがあった。
これだけなら珍しくもない悩みだが、母親は小学校だか中学校だかの教師で、自分の教育者としての能力に絶対的な自信を持っていることが文面に滲み出しているのが目を引いた。その相談内容はというと、自らはまっとうな教育者であるにもかからわず、そのわたしの教育方針に娘がまったく従わないのは娘自身に問題があるからだ、この娘をどうたら良いか、といったようなものだったと思う。
最近、エリック・ホッファーの日記を読み返していたら、ふとこの人生相談のことを思い出した。教師とか知識人といった、「教えたいという衝動—学びたいという衝動よりもはるかに強力で原始的ー」をもった人々に対する、ホッファーの静かで辛辣な批評が心地よい。
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